備忘録(2017.9~)


(28)2017年9月現在・・・

 

 過日、おおた芸術学校時代の生徒が二人、この東京の外れまでわざわざ訪れてくれた。当時私が彼らに何を指導したというものでは全くない。彼らは、いわゆる私が企画立案したカリキュラムに積極的に参加し、一緒に音楽を作ってくれた仲間である。

一人は、ブダペストに住み正統的な指揮者の道を着実に歩んでいる金井俊文君。そしてもう一人は、ソロ・サキソフォン奏者を目指すべく更なる研鑽を積み重ねている茂木建人君である。

 二人共、すでに優秀な音楽家であり素敵な人間に成長している。将来の日本の音楽界を背負って立つべき優秀な人材である。紆余曲折あったが、当時私が在籍したおおた芸術学校からこのような人材が育ってくれたことは、至上の喜びである。

 

 金井君とは、彼が白鴎大学足利高校のピアノ科の生徒だった時代からの付き合いであり、後におおた芸術学校附属オーケストラ『ジュネス』の幾多の公演に鍵盤楽器で参画してくれたことがあった。

 彼は、同高校チェロ科の講師をしていた私のところへやって来て、突然指揮を教えて欲しいと言った。その時の細かい遣り取りについては余り良く覚えていないが、彼の熱意に感銘を受けたことは確かである。

 私は一介のチェリストであり、指揮者ではないのだから指揮を指導する術はない。何故彼が私に指揮を教えて欲しいと思い付いたのかも良くは分からない。ただ、彼の熱意を無下にはできず、いわゆる指揮法というものではなく、私がそれまでに得て来た経験にもとづく音楽的見解なら伝えることができるかも知れないと、半信半疑で受け入れたような気がする。

 いずれにしても彼は、多くの様々な事柄から何かを捉え吸収し自分のものに昇華する能力を生まれながらにして備え持っているのだと思う。海外での活動は結構忙しいようだが、帰国した時にはその都度顔を見せに来てくれる。果たして、私の音楽における一番弟子と言っても構わないだろうか?

 

 茂木君とは、彼が中学生から高校生のプロセスの中で、おおた芸術学校附属オーケストラ『ジュネス』の団員として入って来た時点からの付き合いである。彼のサキソフォンにおける才能は、その当時から傑出しおり注目に値していた。

しかし、私が太田市を去ってからはずっと会う機会もなく、すっかり忘れていたかと思いきや、彼は私のことを覚えてくれていたようだ。金井君が彼に声を掛けてくれたことがきっかけとなり、三人して立川で落ち合い再会した。

 そして数か月前、渋谷のセルマーというサキソフォン専門店のホールで開かれたリサイタルに招待されたので赴き、彼の演奏を改めて聴く機会を得たのである。才能は見事開花、その成長ぶりに感動した。パリへ留学していたこともあると言う。ただ一つ、テクニックに溺れる傾向があるように感じたが、それは己の心の在り方が解決するであろうと見た。是非とも克服し更なる高みへ上って欲しいと願っている。

 

 二人共、まだ私の年齢の半ばにも達してはいない。ふとその頃の私を振り返ってみれば、結局のところ大事なことは何もしておらず右往左往していたに過ぎない。それを考えれば彼らの成長ぶりには目を見張るものがある。極めて立派である。

 私はこの二人に対し大いなる期待をかけたい。その価値があると確信している。

 

 人間の繋がりというものは、どのようにしてどこまで継続し得るのかということを見極めるのは難しかろう。しかしその可能性は追求すべきものである。友情も然りである。

 それによって如何なる真価を享受し得るかについても死ぬまで追求したい。真実とは何をもって真実と言うか、成就とは何をもって成就と言うか、その答えは計り知れないものであろう。しかし、それを掴めるか掴められないかについての究極の問題は、如何なる結果が現れようとも冥土の土産としたい。

 

 本年2月17日、山武市成東文化会館「のぎくプラザ」エントランス・ホールでの「ピアノとチェロと舞踊のささやき」と題したサロンコンサートにおいて、私はバッハの無伴奏チェロ組曲第1番を舞踊と共に演奏することが出来た。この時点で、私は音楽家復活を悟ったことになる。共演者は、ピアノの河原千尋さん、そしてMACOBA Dance Companyの舞踊家のお二人。

 これについては無論のこと石場惇史君のプロデュースであった。当然彼の信頼度に影響するものであったわけだが、それにも関わらず引退宣言をしたまま一年以上もチェロに触れていなかった私を起用したこと、その厚意と心意気に対し言葉では表し尽くせない感謝の念を抱いている。

 バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲の解析を思い立ったのはこの時であり、やはり石場惇史君の協力と励ましにより先ごろ完成に至らしめることができた。もう少し細部調整を施した上で、出来ればいずれは楽譜出版したいと願っている。が、果たして・・・。

 

 来る10月21日には、群馬県伊勢崎市境米岡の弘教寺でコンサートを行う。弘教寺仏教壮年会結成20周年記念コンサート『音楽言語で覗く極楽浄土の世界』・・・石場惇史君が音楽説法を行い、河原千尋さんのピアノ、私のチェロが加わりこれまで類を見ない演奏会ができそうだ。

 2年前、まさにこの寺院において私は引退宣言をしたのである。それにもかかわらず、思わぬ形で突然復帰した私を住職は喜び受け入れてくださり、こうして新しいコンサートの開催が実現した次第である。

 そして更に今回は、特別にレンタル・ピアノの搬入を許可して頂き、河原千尋さんの生のピアノの音色を楽しむことが可能となった。何と素晴らしいことであろうか。

 

 音楽には、言葉があることを認識している音楽愛好家は極めて少ない。歌のように歌詞はなくとも、音律には言葉が秘められているのである。そのことに気づかない、或いは気づこうとしない音楽愛好家が多すぎる。プロであってもアマチュアであっても然りである。

 音楽家のほとんどは、音楽を自己満足の中で終始させてしまっている。つまり楽譜の表面だけしか見ておらず、書かれてある記号としての音をただなぞっているに過ぎない。残念なことに、ほとんどの人はその辺のことを正しく認識していない。

 一応に言われるのは、上手いとか下手とか、有名であるとか無名であるとか、そんな程度の認識であり、その領域から抜け出そうとはしていない。出来ることなら、真実を見抜く能力を一義として養って欲しいものである。物事の根底に秘められている真実を見極め、「良いものは良い、悪いものは悪い」と正しく判断し得る能力、強いて言えば「心」を養って欲しいものである。

 

 石場惇史君は、そうしたところを懇切丁寧に説き明かしてくれるはずである。私は、そのために如何なる協力も惜しまない。そして彼に恥をかかせないよう、彼から与えられたテーマを精一杯熟したいと思っている。

 1年余りのブランクはあったが・・・しかしこの1年余りというのは、いわゆる楽器に一切触れなかった時期のことで、すでにその前から十数年にわたり音楽への執着を失い、たとえ音楽に準じていたとしてもほぼ心あらずの状態にあったのだからして、そのブランクたるや推して知るべしということになろう・・・昨年来、彼の説得で心意気を甦らせ音楽復帰を果たした。新たな音楽人生を歩ませてもらっていることに感謝しながら、私としては彼に一矢報いねばならない。もしや正念場と言うべきであろうか。

 

 私が「古稀にして立つ」と言えば、「今更何をほざくか・・・」という者がいるような気がする。しかし歳を取ってもなお、純なる音楽を貫かんとする心意気の名において、僅かも恥じることはないと思っている。虚栄の中の音楽に溺れる族、或いはただ漫然と職業音楽家に甘んじている族よりはずっと増ではなかろうか、と言いたい。

 

 今現在、一心に音楽を学び、研鑽努力している才能ある若き逸材が、将来の日本の音楽界を立て直してくれることを信じてやまない。

 

 

(29)自由の本質について

 

 本棚を整理していたら、またまたこのような原稿が出て来た。おおた芸術学校副校長という肩書がつけられているので、太田市文化振興事業団に就任して間もない頃、ある新聞社(多分上毛新聞社だと思うが、間違っていたら失礼)から依頼を受け、字数制限付き枠内での連載物として書いたものだ。何故か新聞の切り抜きは見当たらない。切り取っておいた記憶はあるものの、全く所在が分からない。すべてのものを引っ繰り返して探す元気もないし意味もない。すでに破棄したかも知れぬ。

 改めて原稿を読み返してみると説明不足が目立ち、己の文章力の乏しさを痛感する。批判もあろうが、これもまた一つの記録として残しておきたい。

 

☆ ☆ ☆

 

『自由の本質』

~日本の文化と西洋音楽~

                                                                                                             おおた芸術学校副校長 瀬越 憲

 

(1)

 

 日本では、まだ「自由」という言葉が本当の意味で理解されていないように思えてならない。すでに民主主義国家として国威というものを確立しているかのように「言論の自由」や「報道の自由」を謳歌しているが、しかし極めて偏狭的である。「自由」というもの便宜上掲げているに過ぎないのではなかろうか。ややもすると御都合主義になりかねない。

 ヨーロッパにおいて何百年という歴史を有する西洋音楽が日本に輸入されて以来、たかだか100年である。日本人がこの短期間に技術レベルを向上させたのは事実である。西洋人にしてみれば驚異と映ったかも知れない。日本人特有の器用さと勤勉さによるものと判断したかも知れない。技術的には、確かに国際水準に達したのかも知れない。しかし、ヨーロッパ人の示す驚きは、その目覚ましい技術向上に対する注目でしかない。彼らはこの分野において、日本が総合的な意味で自分たちの領域に追いついたという認識は全く持っていないのである。一方日本では、むしろ国際舞台に進出できるようになったことで、ある種の自惚れを高揚させている傾向がある。

 私はチェロ留学生として、たった数年間であったがヨーロッパに滞在した。その間に学んだことは、私の人生において極めて重要なものとなった。チェロの技術や音楽表現についても多くを学んだが、それより更に感謝に値することは、歴史の重みと携わる人々の音楽に対峙する姿勢と類まれな環境について学べたことである。私が滞在した当時と今日では、恐らく情勢は随分と違って来ているかも知れない。当時のヨーロッパでは、例えば私のような一外国人留学生が大学に在籍することにおいて全く差別がなく、学生はすべからく同じ待遇を享受した。国立と市立とで違いがあったかどうかについては確認していないが、私が在籍したベルリン国立音楽大学では授業料というものは一切なかった。秋から冬を第一期、春から夏を第二期という具合に、一年が二つの学期からなっており、学期ごとに納めるものは学生保険(11マルク=約1500円程度)のみであった。

 私の場合、第一子がベルリン大学病院で産まれ、母子ともに至れり尽くせりの完全看護を被り、掛かった費用のすべてはその学生保険で賄われ、更に祝い金まで支給された。

 また、ベルリン滞在に年目にして親からの送金が途絶え苦悶していた時、ベルリン市から奨学金まで享受した。その精神の大らかさに感動した。ドイツ国における学生に対する待遇は、かなり行き届いたものであった。「学び人」のための環境整備と支援は完璧であり、人種差別はまったくなかった。人材育成に対する積極性と責任性が十分過ぎるほど見て取れた。

 「自由」とは、本来個々の責任によって培われるものである。与え合う心を通して、それぞれが生きている実感を得ながら真実を勝ち取って行くものである。単に宗教や伝説、或いは社会性や常識に左右されるのもではなく、人間としての誠意と善意における主体性をもった意識改革、それを誰に憚ることなく追及できてこそ「自由」というものである。

 

(2)

 

 揺るぎない国威とは何か。日本では、当然のごとく政治経済が主流であると考えられている。しかし本来主流となるべきは、人間主体の文化でなければならない。ヨーロッパの歴史を紐解いてみると、文明の発展に伴い常に文化が先行して来た。文化による心の動きを不可欠なものとしているのだ。つまり人間にとって何が大切なのかを明確に捉えている。

 西洋音楽は、日本人の生活のなかに必要なものとして積極的に取り入れられたものではなかった。明治時代に一方的に西洋人が持参したものである。卑近な例だが、日本では第二次世界大戦の際、それを敵性音楽として全面廃止された事実がある。日本人にはアメリカとドイツの区別がつけられなかったと同時に、心というものを介在させる余裕もなかったことを物語っている。

 人間は、基本的に野蛮性を兼ね備えた動物である。いずれの時代においても、人間が戦争を余儀なくしているのはその所以であろう。「人間にとって戦争は必要悪だ」と言った人もいる。とは言え、戦争ばかりにのめり込んでいたら人類は滅亡の一途を辿るしかなかろう。それ故、文化度か問われて然るべきである。

 ヨーロッパは、一つの大陸に幾つもの国がひしめき合っている。国を守るために、それぞれが侵略戦争の歴史を辿った。宗教の戦いであり、自由への戦いであった。痛烈無残な戦いが強いられたが、それでも彼らは国を意識し「自由」を求めた。そして自由への架け橋として西洋音楽を創造し続けたといっても過言ではあるまい。主体性を重んじ、主義と思想を明確化して行った。哲学が生まれた。

 日本における戦争の歴史は、どちらかと言えば遊戯的なものであった。同民族による単なる領地争いでしかなかった。他民族からの侵略については、実質的にはなかったといえよう。ヨーロッパにおける侵略戦争とは、まったく性質が異なっていた。文豪井伏鱒二が小説に書いているが、戦国時代のそれも実際には極めて呑気な様相であったという。映画で見るような熾烈な滅多切り場面などはなく、悠長を絵に描いたようなものであったという。刀は何度も打ち合えば刃がボロボロになり、いちいち研がねばならなかったという。あながち作り話とはいえまい。

 日本は四季に恵まれ、折々に豊かな食糧が確保できる。誠に温存された国である。「日本列島ビニールハウス」といった人もいる。安住に慣れ親しみ、あえて危険に近づかない。起こる物事は穏便に済ませる指向性を好む。すべてに亙って「何となく」という感覚が付いて回る。主体性が無くても生きて行ける国である。むしろ主体性を持たない方が生きやすいのかも知れない。

 日本人の多くは、西洋音楽を難解であるという。だが決して難解ではないことを知ってもらいたい。これほど誠実で正直で人間的なものは無いのだ。言葉では言い尽くせない人間の真実が秘められているのである。まさに主体性の表れである。「何となく」という感覚からは随分と掛け離れているため、つい難解なものと見做してしまうのかも知れない。

 長い歴史を経て熟成されたものである。果たして日本人には、それを心から受け入れることは永久に不可能なのであろうか。

 

(3)

 

 「自由」とは、主体性をもった文化構築のなかで個々の在り方と責任によって啓かれるものである。自分さへ良ければ、という範囲の思考では到底捉えられるものではなかろう。勝手気ままな志向で進めば、行く末は堕落のみである。

 文化が発展している国は、社会福祉も充実している。教育も同じである。人間にとって何が大切かを、文化の名において会得している。一人一人の人間の存在についての重要性と価値観を、正統的に把握しているからである。

 日本では、教育の現場にも様々な問題点が累積しているようである。ことごとく安全性を問われる世の中で、今の子供たちは痛みというものを知らずに育っている。大人たちの宙ぶらりんな自由性と表面的な幸福感によって甘やかされて育っている。そのために子供たちは、人間にとって一番大切なものとは何なのかを学習し得ていないのだ。そして情緒の不安定さをも引き起こしている。

 教育の現場にも本当の「自由」が必要なのではなかろうか。画一化された教材よりも、押し付けの活動よりも、もっと広がりのある空想豊かな生活空間と時間が必要なのではなかろうか。国威ある日本というには、余りにもお粗末な社会現状が浮かび上がる。

 学校教育に西洋音楽を取り入れるという発想は適切であった。しかし、もしかするとその扱い方に問題があるのではなかろうか。音楽を好きになれる要素を持っている子供でも嫌になってしまうような、どこか押し付けがましいものがあるような気がする。つまり自然ではないのだ。西洋音楽が難解なものであると解釈している大人たちが、もしもその感覚で子供たちを指導するとしたら、まさしく齟齬を生じさせ危険な状況を作り兼ねない。音楽を聴かせること或いは楽器を持たせることが、即情操教育に繋がるとは限らない。再度熟考すべき事柄であろう。

 もし主体性をもって正しく導いて行ける術がないのなら、無理に西洋音楽を強いることはない。むしろ大地の匂いを感受するためのカリキュラムを子供たちに提供する方が、遥かに有効であるような気がしてならない。

 日本における音楽教育についていえば、殆どの場合プロ演奏家の育成に傾いている。従ってプロが氾濫している。就職のことを考えれば、まさに狭き門となる。オーケストラが日本全国各地に分散していれば、ある程度は就職難を解消できるかも知れない。現実的には志を断念した溢れ者がいる。

 さても西洋音楽を愛好する日本人は中央に集中し、一見華やかな舞台を展開している。恰も本物は中央にしかいないとでもいうかのような有様である。しかし、それは動もすれば自己満足に終わりかねない。見栄と、思い上がりと、知識披瀝の交錯を増加させているばかりである。

 これからの問題は、地方が中央を凌ぐ独自の発想をもって大きく発展することにある。地方にこそ、主体性を持つ新しい展開があって然るべきなのかも知れない。逆輸入も真なり。

 

(4)

 

 「言論の自由」「報道の自由」というものがある。しかし「自由」に託けて何を発言しても良い、何を書いても良いというものではない。報道機関は正義を重んずるべきである。事実をありのままに伝達する義務を背負っているかも知れないが、場合によっては人を傷つけ陥れることもある。事実は、すべての裏付けを取ってから正しく伝達されなければならない。安易さや手抜きはあり得ない。

 事実は、正義をもって真実へと昇華させなければならない。悪を正し、善を賛美しなければならない。助けること、救うこと、人々を善良な道へと導くことが第一義である。国民に対し、正真正銘、正直であらねばならない。報道の使命とは、何ものにも媚び諂わない真実の表出としてあるべきだ。

 私がヨーロッパで体験したことだが・・・例えばある著名な演奏家がリサイタルで心の籠らないプレイをしたとして、新聞は批評の欄でそれを叩く。見せ掛けやハッタリは許さないのだ。また聴衆にも、そういう場面に出くわした時は決然とブーイングを飛ばす。かなり手厳しい。それだけ聴く側の耳は肥えており、主体性というものがある。

 しかしその反面、これから育とうとする若い演奏家たちの一生懸命なプレイに対しては決して貶すことはしない。むしろ可能性を褒め称えるのだ。皆がこぞって応援し励まし、最善の環境を提供するのだ。因みに日本人は、著名人であればすべて良しとしている。

 「自由」というものが、単に何でも御座れの在り方で許され、奔放なままであって良いのであれば、世の中取り返しのつかないことになってしまうに違いない。強いて言えば、今の日本は何もかもが本末転倒、殆ど中身を失い案山子のように突っ立っているだけである。崩壊を暗示するような物事と思うが、本当にこのまま放置しておいて良いのであろうか。

 西洋音楽には、もう一つ重要なテーマがある。それは「愛」である。すべを支える原動力となり、生きる証となる。

さて日本人は、「愛」というものを完璧に遂行しているであろうか。果たしてそれを民族性と片付けるか、歴史の所以として解釈するか。いずれにしても、主体性を持ち得なければその真実は見極められない。

 日本では、奥ゆかしさは美徳だと言い、謙虚さも美徳だと言う。しかし、今の日本にそういう美徳たる形象は残っているのだろうか。「愛」を遂行できなければ「自由」を勝ち取ることはできない。「愛」は人間の主体性を支え「自由」を啓く。

 「幸福」は、誰もが憧れとして抱く特別の領域である。「幸福」になりたいという願望を抱かない人間は一人もいないであろう。しかし、どれだけの人間が「幸福」を実感しているか。「愛」と「幸福」が一つに溶け合うことはあり得るものと思われるが、真の「自由」が社会生活に浸透しない限り、真の「愛」と「幸福」を享受することは難しいかも知れない。

 

(5)

 

 日本の国民が集中的に文化発展のための取り組みに心を傾け、一挙に意識を高揚させて行けば、人間的な深みを文化として包有し日本の国威は本物となろう。

 往々にして日本人は、文化について誤った捉え方をしている。生活に密着した身近なもの(衣食住)が文化であると錯覚しているようだ。もちろん、それも大切な要素であるには違いないが、もっと大切なものが根底になければならないことに気づいていない。

 今一度、歴史と文化の相関関係についてじっくり考察する必要があろう。取り返しのつかない混沌状態に陥る前に何らかの適切な措置をとるべきなのではなかろうか。

 歴史は繰り返されるという言葉がある。しかしこれは、巷の流行を取り上げて言っているだけで、実際問題歴史が繰り返されるわけがない。歴史は飽くまでも進行するのである。その一歩一歩の積み重ねが歴史となる。進行が早いか遅いかは問題ではない。とにかく踏み込まねばならない。

 日本という国が先ずもって行うべきは、物事の本質へと一歩足を踏み入れ決然たる開花を求めることにあろう。

 果たして日本人の多くは、もしや生きている実感を肌で捉え心の中でそれを噛みしめながら生活しているだろうか。或いはただ単に流されて生きているに過ぎないのではなかろうか。願わくは、前者であって欲しいが、現実的には表面的であり冷ややかなものの方が多く目に映る。

 西洋音楽を難解なもの、面白くないものと決め込んでいる日本人が大半である。そのような人々のために様々な企画を考案し工夫を凝らしながら、少しでも多くの人々に少しでも興味や親しみを持ってもらいたいと努力をしている活動家は少なくない。音楽関係者に限らないが、果たしてそうした苦心の推進作業は、日本人の生活に西洋音楽を浸透させる要因となり得るであろうか。西洋音楽を心から楽しむ方向へと導いて行けるであろうか。幾許かの不安がよぎる。

 もしも日本人に、主体性の意味を理解することが困難であるとしたら、国際人としての文化を強要してはいけないのかも知れない。むしろ日本人は、日本古来の文化だけに執着していれば良いのかも知れない。とはいえ、すでに西洋音楽は取り入れられ社会的に認可され、厳然として根を下ろしている。多くの愛好家が存在し、一部には華やかな舞台も繰り広げられている。たとえそれが空回り状態であったとしても、諦めて放棄することはできまい。何とかして正統性に向け軌道修正を試みるべきであろう。その意味で、確かに正統論を説くだけでは埒が明かないかも知れない。将来を見据えた地道な活動が見直され、継続されなければなるまい。

 日本の国威を明確化するのは政治家ではなく、国民である。豊かな文化国家を構築するのは国民である。国民の一人一人が主体性を持ち、心映えをもって善悪優劣を正しく判断して行ける世の中になって欲しいものだ。

 

(6)

 

 西洋音楽をもってする青少年の健全育成の問題がある。今や青少年の音楽活動は活発である。ブラスバンドも盛んである。国や県や市が支援をし、実際に成果を上げている部分もある。しかし、何故かどこかに欠落しているものがある。

 青少年のそうした活動に不可欠なものは、基本的に積極的な取り組みだが、押し付けでもなくスパルタでもなく、子供たちが自然に好きになれるよう導こうとする保護者の愛の姿勢であり、教育者を含む国民全体の理解と意識である。即座の結果を期待せず、長い目で見守る心がそれを支える。西洋音楽は一朝一夕で仕上がるものではないのだから・・・。

 音楽は楽しんでこそ意味がある。技術錬磨を優先する楽しめない音楽環境は意味がない。たとえプロを目指そうと目指すまいと基礎が大事である。そして音楽をする心である。少しでも綺麗な音が出せたなら、また一瞬でも心に響く色合いを味わえたなら、誰しもが喜びを感受するに違いない。だから最低限において純粋に音楽をする場が必要となる。ただ漫然と弾いているだけでは、何の成果も生まれはしない。最終的な喜びのために、適切な環境の中で系統だった指導を受けることが望ましい。

 今の日本が考慮すべきは、プロを育成することではない。底辺の拡大を目指し、良き聴衆を育てることにある。10年先、20年先、30年先、子供たちが成人し、更に彼らが子孫を設ける時代を推し量った上での地道な育成活動が続けられ、いわゆる順当な歴史を構築しようとする心意気が必要不可欠なのではなかろうか。

 日本では、大人のアマチュアオーケストラ活動も盛んである。アマチュアとして西洋音楽を嗜むことには大いに意義があり、まさに高尚な趣味である。共同意識の中で、お互いに協調性を求め合いながら尚且つ個人の主張も活かされる。オーケストラならではのメリットである。

 もう一つ、ヨーロッパでの体験談を書いておくとしよう。ウイーンの音楽学校からベルリンの音楽学校へ移籍したばかりのこと。あるアマチュアの弦楽四重奏団のもとへ、師匠から紹介され手伝いに行ったことがあった。チェロのメンバーが病気になったので欠員補充として頼まれた。私にしてみれば学生とはいえ一応プロという自負があったので、割と気楽に、それも少し甘く見た風に練習場所を訪ねた。演奏したのはベートーヴェンの弦楽四重奏曲であった。「せーの」で最初の一音が発せられた時、私は愕然とした。目の当たりにしたのは彼らの技術レベルの高さと、それ以上に彼らが実践している音楽表現の豊かさであった。

 彼らにとっては、まさしく自分たちの音楽であるからして至極当然のことかも知れないが、彼らは音楽学校で専門的に音楽を学んだわけではない。医者であったり実業家であったりと様々な職業に携わっており、決してプロの演奏家ではないのだ。私は、ただひたすら脱帽し帰宅した。私自身の心の狭さと未熟さのすべてを痛感した。それが歴史の重みなのだと実感した。彼らは音楽に没頭し、切磋琢磨し、本物の音楽を実践していたのである。そしてその姿勢は終始謙虚であった。

 人間は、主体性を発露させなければならない。主体性は、人間が所有し得る特権であるはずだ。人間には、少なくとも思考能力というものが備わっている。主体性によってもたらされる真の「自由」の営みこそが「文化」である。

 揺るぎない国の威光を築くためにも、今こそ『自由の本質』を見極めなければなるまい。

 

(完)

 

☆ ☆ ☆

 

 原稿をもとに打ち直してみた。文章力の未熟さを再度思い知ったが、これが当時の新聞紙上に連載されたものかと思うと、恥ずかしさが込み上げて来る。今から20年近くも前の文章である。今更何を言ったところでどうにもならないので、諦めるより仕方がない。

 文章における問題は兎も角として、ここに込められた私の根本理念は未ださほど変わってはいない。私自身が日本人として、この国で誇りをもって生きて行きたい一心の切なる祈りを綴ったに過ぎない。

 「自由の本質」というものを核に据えた国民のための最良の社会環境が、この国においても構築されんことを願うばかりである。

 

 

(30)弘教寺コンサート無事終了

 

 2017年10月21日(土)14時開演、弘教寺仏教壮年会結成20周年記念コンサート『音楽言語で覗く極楽浄土の世界』を実施した。台風影響下の雨模様の中にもかかわらず、沢山の方々にお越し頂いた。

 

 この浄土真宗の寺では、このような行事に門徒以外の方々も受け入れている。実は私の家系も代々浄土真宗の檀家であるが、だからといって特に敬虔な信者というわけではない。我が家にも仏壇があり代々の位牌を祭っている。そして折々に礼拝する。

 

 西洋音楽を生業とする者がキリスト教信者でなければならないという決まりはまったく無い。そしてまたその逆も真である。

 

 私がヨーロッパ滞在中には、カトリックやプロテスタントの大小の教会で幾許か演奏をさせてもらった。様々な祭礼に演奏者として招かれ、バッハ=グノーのアヴェ・マリアやヘンデルのト短調のチェロ・コンチェルトなどをパイプオルガンと共に演奏した記憶がある。

 

 「音楽する」ということは、いずれにしても神を崇め、心を純化させることから始まるのかも知れない。或いは神を崇めずとも、己自身の心に問い己自身を無にし、そして純度を高めることが不可欠なのかも知れない。嘘偽りや汚れがあっては「音楽する」ことに及ぶべくもないのかも知れない。だからこそ祈り、懺悔をせねばならないのであろうか・・・。

 このことについては、語れば長くなるので後日改めて展開したい。

 

 久しぶりの弘教寺コンサートであった。何を隠そう、2年前にこの寺ではっきりと引退宣言をしたわけだが、臆面もなく再登場してしまった。

石場惇史君との邂逅により音楽家を復活させることができたとはいえ、実は内心忸怩たるものを抱えながら臨んだ次第である。しかし臨んでみれば、心意気は盤石の備えにてすべての物事を払拭し喜びに変えてくれたのである。

 

 この日は、日本古来の木造家屋の中で、長雨の情況によりチェロは満遍なく湿気を帯びてしまった。コンパネを用いた反響板や組み立てた山台等々・・・石場君が苦労して設営し、この寺においてこれまでにない理想的舞台が施されたが、湿気を帯びたチェロは今一つ鳴りが悪く正直残念であった。しかし、音楽説法の石場惇史君とピアノの河原千尋さんの厚意あるサポートのお陰で、チェロの鳴り具合に臆することなく精神的満足感を享受させてもらった。

 数十年に及び、大体において演奏会終演後には、様々な主観的客観的結果をもって必ずといって良いほど不満感を覚えたものである。ところが今回は心残りというものは皆無となった。

 

 石場君の音楽説法については思った通り見事な口調で、内容においても一般の人に極めて解り易く説かれ大変好評だった。今回は対象者に合わせ軽いタッチの説法となったが、恐らく哲学的な本格説法も彼の得意とするところに相違ない。「まさにそれは彼の天職である」と、私は思う。

 河原さんのピアノ演奏もまたそれが天職というに相応しい、果てしなく透き通る音色と共に心を投影した「音と言葉」の極みが表出されている。人々はその美しさに酔いしれ心底感動するのだ。

 

 月並みな言い方だが、私はこの歳になってこのような音楽会に参画できたことに深く感謝し、「生きていて良かった!」と胸を張る。

 

 

(31)バッハ無伴奏チェロ組曲第6番プレリュードについて

 

 バッハの全組曲における解析は、10月下旬にすべて完成している。しかし第6番のプレリュードについてはどうしても納得が行かず、今月に入り再考を始めた。

 

 実はこのプレリュードだけ、YAMAHAサイレント・チェロ(石場惇史君から借りている)を使って簡易録音してみた。我が家の録音装置とは、パソコンにUSBケーブルで接続したオーディオインターフェイス「Steinberg12」と付属ソフト「Cubase AI」である。そしてサイレント・チェロをそれに繋ぐ。

 録音したものを聴く。そうした所、いやはや思っていたイメージとは随分と違っており落胆。余りにも朴訥で、流れが悪く、変化が乏しい。

この装置による録音は、そのままだと極めてデッドであることは承知の上であるが、これはどうにも仕様がない。狭い六畳間程度の書斎であるからして、やれることには限りがある。

 苦肉の策としては、例えばそのデッドさを解消する手立てとして、別途ソフトウェア(Audio Editor)によるホールトーン調整がある。しかし、だからといって音楽的内容が改善されるわけではない。疑似的にエコーを付けたからと言って、朴訥さを修正できるわけではない。ソフトウエアによる効果は、単なる誤魔化しに過ぎない。

 

 私は当初、音の粒の羅列を明確にすべく、第4番プレリュードに倣いデタッシェ(スラーを付けずに一音一音分離する)で弾くのがベストではなかろうかと考えた。しかしこの第6番プレリュードにおいては別問題であることに気づいたのである。響きと流れを最大限考慮しなければならないことに気づいたのである。

 冒頭一小節目、この部分をデタッシェで弾き始めた場合、後に続く構成の殆どをデタッシェで弾かなければならなくなってしまう。そうしないとバランスが取れなくなり、そうこうしているうちに融通が利かなくなり、にっちもさっちも行かなくなってしまう。

 

 冒頭一小節目、第一音のDは、任意の指をG線上で押さえ、第二音のDは開放で弾くというやり方を選択せざるを得ない。そしてその二つの音にスラーを付けるのが通例となっている。古今東西、この部分をデタッシェで弾いた者は一人もいないと見て良かろう。

別段私は、そうした通例に逆らうつもりなど毛頭なく、世の中に一人ぐらいデタッシェ派がいても差し障りがあるものでもなかろうという程度の思いで、独自の新しい発想を試みたのであったが、結果は無意味であった。

 

 解析に当たって私が基とした楽譜は、昨今ではもっともオリジナルに近いとされているベーレンラーター版である。この版でもやはり当たり前のように、その部分にはスラーが付けられている。

 しかし、果たして本当にこれがバッハ自身によって書かれたものなのかどうか、未だ不明であり、また私にそれを確認する術もない。

 

 バッハが無伴奏チェロ組曲を書き残してから凡そ150年もの間、誰一人としてそれを不朽の作品と見抜いた者はいなかった。そんな長い空白期を経た後、バッハの楽譜は巨匠パブロ・カザルスによって偶さかに発見され、更に彼の演奏によって漸く日の目を見ることになり、それと同時に一気に名曲として世の中に知れ渡ったのである。

 

 而して、カザルスが解析を施し世に送り出して以来、それを手本に多くのチェリストが順次新しい解析を発表するようになった。バッハが、もし敢えて定型を残さず、常に新しい表現の可能性を後世に投げかけ示唆したとすれば、カザルスの解析版はある意味バッハのそれをさて置いて「原点」とされて然るべきかも知れない。

 

 残念ながら、私に手元にはカザルスの解析版もなく他の解析版もなく、ベーレンライター版を保持するのみである。かつては、ベッカー版、アレキサニアン版、マイナルディ版等々、ヨーロッパ在住時代に購入し所蔵していたが、日本に於いて音楽をすることの意味を見失った私にはそれを役立てる術もなく手放すことになった。既に二十数年前のこと、誰かに進呈したまま行方知れずとなった。

せっかくの、今考えれば貴重な楽譜だったにも拘わらず、本棚に放置したまま開くこともなく、ついぞ学びを逸してしまった。今更悔やんでも後の祭りである。

 

 ただ、カザルス版ついては、ウィーンで学んでいた時代に同門が使っていた楽譜を覗き見したことがあり、問題のスラーはそこにも間違いなく印刷されていたと記憶している。またその時代、幾多のチェリストの演奏も聴いたが、テンポ感に違いはあるものの、いずれもカザルスの解析が基調となっていることは明白である。

 

 私が問題としたのは、冒頭一小節目のDとDにスラーを付けなければならない理由である。スラーを付けずにデタッシェで弾く方が、音律を明確化することができ尚且つ躍動感が表出できベストなのではなかろうかと、私は踏んだ。もしやこのようにスラーを付けない形が本当はオリジナルなのではなかろうかと思い込んでしまった節がある。が、それはとんでもない誤算であった。

 

 このプレリュードにおいては、冒頭のDの音は、極めて重要な意味を持っており全体の「響き」を象徴するものでなければならない。それこそ倍音の問題に関わる重要な課題でもあるわけだが、全体のすべての音律はこの一点に集約されていることに気づくのである。

 冒頭一小節目、第一音のDと第二音のDは、単に音の粒としてではなく、全体を支配するべき重要な起点として捉えなければならない。

そのように考えた時、すべてが明らかになってきたのである。全体を通して、アーティキュレーションというものが姿かたちを変え蠢いているように感じられてきた。そういう執拗な変容が顕著に表された作品であるといえよう。

 滞りなく流れる無限の息吹を捉え、未来へのイメージを構築するのである。

 

 過日、書き改めた譜面を石場君に見てもらい聴いてもらった。彼はバッハにおける造詣が極めて深く、そして随所に見え隠れする倍音の考察についても鋭い。

 10月下旬、書き改める前のものを見てもらった際には、彼が半信半疑の面持ちを呈し「自分なりにちょっと考え調べてみる!」と発したまま、納得のいかない様子で終わった。

 そしてひと月後、ここに来て漸く彼は微笑みを浮かべ、しっかりと頷いてくれた。

 

 私の全6曲に及ぶ解析に当って、彼には順次貴重なアドヴァイスを被り、お陰で暫し生気を逸していた私の生き様に光が注がれ、今こうして一つの物事を成し遂げたという大いなる達成感に浸っている。

 無論、これから更なる時間を掛け、第1番から第6番までの細部の見直しを行うつもりである。分けてもフィンガリングはより的確なものに仕上げたい。

 

 しかし、もう心残りはない・・・これ以上望むものは何もないが、生涯をセロ弾きとして或いは音楽家として生きるべく心しよう。

 


 

(32)2017年の締め括り

 

 今日で2017年は終わりを告げる。

 

 私にとって今年は、実に充実した一年であった。これはすべて石場惇史君のお陰である。そして、彼の奥方であり優れたピアニストである河原千尋さんと初めてのお目見えを賜り、音と言葉のイメージを共有し得る幾許の共演をさせて頂いたことは、心に深く残った。

 

 日本における社会環境やその中で蠢く音楽界の不条理に嫌気が差し、辟易として自らの音楽人生に幕を下ろした私であったが、心友との思いがけない邂逅により再び幕を上げることができた。そして長い間忘れていた、いわゆる「音楽する」という居心地の良い音楽領域を享受し、はたまた多くの有意義な語らいを恣にしながら、消え失せていた心意気を一気に甦えらせることができたのであった。

 また更に、これまで一寸たりと思い及ぶことのなかった一つの大きな命題・・・恰も先人の偉業に肖るかのような発想・・・J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲の全曲解析に挑み、それを完成に至らしめたことは私にとって特筆すべき物事となった。

 果たしてこれが世に評価されようがされまいが、然したる問題ではない。日本の現音楽界には正統性を探ろうとする気概など微塵もないのだから望むべくもない。ただ願わくば、この心の結晶が後世の音楽愛好家の目に留まるべく、果たして可能性は微々たるものかも知れないが、何らかの形で残せるものなら残しておきたい。

 いうまでもなく、石場惇史という心友の理解と励まし協力なくしては、到底成し遂げられるものではなかった。まさに心意気の証といえよう。

このすべては、実にたった一年余りの時空の流れ中で集中的にもたらされたものであり、いわば一心的運命を象徴するのだ。

 

 齢70を迎えた今、まだまだやりたいことが山ほど残っていることに気づく。いずれにせよ限界を自覚するのは当然のことであるが、しかしもしもこの時点で何かしらの不虞の出来事に見舞われたとしても、この充実した一年の日々を振り返れば、決して悔いが残るものではない。

 斯くして我が人生は、この終盤に際し「音楽する」ことの最良の意義を再確認し、掛け替えのない糧を掴み得たのである。生きるための糧とはいわない、生きたことによる糧とでもいおうか。

 

 さて、私事はこれぐらいにて・・・

 今年は、二つの喜ばしい物事に逢着した。二人の若き音楽家の新たな世界へと立ち向っている雄姿を見た。

実のところ三人いるわけなのだが、その三人目に能う人物はサキソフォン奏者の茂木健人君である。彼については、少し前に一度書かせてもらっているので今回は見送り、次回二度目のソロを聴かせてもらった上で書くことにしたい。彼には、「ぜひ、無伴奏チェロ組曲」を演奏して欲しい旨の話をした。彼の心意気を大いに期待するところである。

 

 11月25日(土)、私は狛江フィルハーモニー管弦楽団第40回定期演奏会へ赴いた。愛弟子金井俊文君が、狛江フィルハーモニー管弦楽団を指揮したのである。

 ヨーロッパ滞在中の彼が現地のプロ・オーケストラで指揮をする姿やその音楽については、パソコンを通じて幾度もビデオ視聴をしている。たが、生演奏を聴いたのは今回が初めてである。

 

 会場となったエコマホール(狛江市民ホール)は、大ホールというより中ホールに近かいキャパシティーである。音は全体に良く響き、決して悪くはないホールだ。しかしこのキャパシティーは、フル・オーケストラが演ずるにはやや手狭なような気がした。

 果たして原因について定かではないが、一つだけ不満を感じたことがあった。どうしても今一オーケストラの響きが纏まって聴こえて来ない。誠に惜しい気がした。

 もしもそれがホールのキャパシティーの問題ではないとするならば、もしやオーケストラの弦楽器群の配列に原因があるのかも知れない。つまりそれによって本来の響きの方向性が偏り、音響バランスに影響を及ぼしているとも考えられる。

 この弦楽器群の配列の問題については、もう一度オーケストラ全体でじっくり協議すべきではなかろうか。余計なお世話かも知れないが・・・悪しからず。

 

 しかしこのオーケストラは、アマチュアとしてはかなりレベルが高い。指揮者の表現に対する反応がとても良く、アンサンブル的柔軟性を保有している。そして音楽に対峙する真摯な姿勢が見て取れたことは嬉しかった。

 

 金井君は、このオーケストラの持つ能力を存分に引き出したかと思える。彼の指揮における力量は、以前ビデオで視聴していた時のものとは遥かに異なり、緻密且つ豊かな表現力が備わっていた。表現意識と棒の働きが融合し、醸し出される音楽は一体化し、自然な空間芸術をもたらした。

 ただ、私の見解で誠に申し訳ないが、身体の動きがまだ少しばかり大き過ぎるように思う。そのため無駄な仕草がしばしば垣間見られ、次への指示がわずかながら疎かになることがある。更に注意すべきは下半身である。分けても足元、靴の裏面を客席に見せる動きは絶対にあってはならない。足はしっかりと大地を踏みしめていなければならない。 

 そしてもう一言、ピチピチの衣装は棒振りの余裕を妨げてしまうので、くれぐれも気を配って欲しい。

 ともあれ、細かいことは少しずつ今後の課題として行けば良い。概ねのところは良好であり、今後への期待は更に大きく膨らんだ。

  今回、一聴衆としてコンサートに臨んだわけだが、つくづく出かけて行って良かったと思った。彼の音楽表現を直に体感できたことは幸いであった。

 

 余談だが、録音技術がどんなに発達しようと、音響機器がどんなにレベルアップしようと、生音の響きには到底敵わない。やはり生音でなければ味わえない人間の本来の芸術の在り方を再認識するのである。

 

 それからもう一つ、12月中頃のこと。フィンランドに住み活躍している窪田翔君から一本のビデオ(YouTube)が届いた。11月9日に演奏された新作のティンパニー協奏曲の録画である。

 石島正博氏作曲のティンパニー協奏曲・・・窪田翔君の独奏、沼尻竜典氏の指揮、そしてフィンランドのクオピオ交響楽団の演奏。

 

 私は、これまでティンパニー協奏曲というものを一度も聴いたことがない。それゆえそれをどれだけ正しく理解し得るか半信半疑であった。そして、ティンパニーという打楽器が協奏曲として成立するかどうかの疑問をも抱きつつ視聴した。

 映像は、先ず舞台にオーケストラが並びチューニングをしている場面から始まる。指揮台の左横に4台のティンパニーとドラム類、更に様々な小物楽器が配置されている。

 さても窪田君が登場し、にこやかにお辞儀をする中、続いて指揮者が現れ静寂となる。指揮者がソリストに目配せをすると棒を振り上げ、アインザッツでオーケストラは抒情的音律を奏で始める。するとそのしめやかさを打ち消すかのように突如ティンパニーが一連の音型を強打する。しかしオーケストラは何事もなかったようにしめやかさを持続している。そんなわずか数分の冒頭場面から楽曲は順次展開するが、この音楽の基調となっているものは恐らく日本的叙事詩であろう。

 作曲者の誠実な生き方が汲み取れる作品である。凡そ30分に及ぶ大作である。

 

 私には専門的なことは分からないので、楽曲について詳しく語ることは難しいが、少なくとも幾多のイメージを膨らませ「現実と空想の世界」を彷徨いながらも様々な心象風景を描いてみた。

 この私が、脳裏にそれなりの絵を描き瞑想し得たということは、取りも直さず演奏家が作曲者の意図を汲み取り理解して演奏しているからに他なるまい。

 

 窪田君の独奏は、至上のテクニックをもって質の高さを披露した。一方オーケストラについては、抒情性に長けてはいるもののやや瞬発力・敏捷性に乏しく、もっとメリハリを出して欲しい気がした。指揮者沼尻氏の懸命なる変拍子ぶりに充分なる対応が出来ているとは考えにくかった。

 

 窪田君の感性は傑出している。私はすぐさま脱帽した。が、何故かややテクニックに帰しているかのように感じるのであった。この作品では、恐らく強調すべきところはより強調すべきであり、微妙なニュアンスというものが決然と伝えらなければならない。つまり、限りなく明瞭な「音と言葉」というものを的確に語りかけて欲しいと、私は思うのである。

 

 彼の心に潜在している音楽には、わずかのハッタリもなく、音楽への誠実な愛と姿勢が感じられた。これこそが最も大切とされるべき真の音楽家の要因であり、それが真の感動をもたらすものであると、私は信じている。

 彼に対し、最高の評価を捧げたい。もちろん、金井君に対しても同様の感懐をもっている。そして茂木君にも、更なる激励の言葉を送りたい。

 

 この一年、幾多の素晴らしい時間を共有させて頂き、本当にありがとうございました。